Q7.何故差別が起こるの?

同性愛や同性愛者に対する理由のない恐怖感、嫌悪感のことを、ホモフォビア(同性愛嫌悪)と言います。

本来同性愛などは、その人の持つ自然な性の在り方ですので、それ自体が悪いことであるとか罪であるといったことはありません。
しかし世界的に見ると、宗教によっては同性愛は罪であるとされていたり、同性愛者は死刑としている国などが未だにあるのです。
日本は宗教による観念は比較的薄く、また同性愛者を死刑とする法律もありません。
にも関わらず、ホモフォビアが存在するのは、一体何故なのでしょうか?

1つには、同性愛はおかしいとか、異常性欲であるという感情的な思い込みにより、一切の知識や情報を拒否してしまう人達がいることが挙げられます。
もともとは、日本という国は性の多様性に比較的寛容な文化を持っていました。
しかし江戸時代以降に男尊女卑が強調されたり、諸外国から宗教と共に同性愛嫌悪が輸入されるなど、徐々に同性愛を異端視する傾向が強くなっていったと思われます。
昭和になると戸籍が男女による「夫婦」を単位とするものに変更されたり、戦時中は子供を産むことが国への奉仕とされ、現代ではポルノとして同性愛のイメージが一人歩きしてしまいました。
これらを通じて「同性愛はおかしい、悪いものである」という誤解と偏見が定着していきました。
その悪いイメージや思い込みを未だに多くの人が持っているために、「周囲もそう思っているのだから」とその差別意識が正しいものであるかのように信じ込んでしまうのです。
結果、本当の知識や情報を遮断してしまい偏見を強め、ひどい場合には同性愛者に対する暴行や殺害などの犯罪に発展したりするのです。
この、「周囲もそう思っているのだから」という目に見えない無言の圧力は、セクシュアルマイノリティがカミングアウトできなかったり、自分自身に対してホモフォビアを抱く原因にもなっています。

もう1つ、そういった背景を抜きにして、同性愛などに対する理解の方法を間違えてしまうパターンがあります。
他の誰かを理解しようとする時に、「相手の立場になって考えなさい」という教育を受けたことのある人は多いのではないでしょうか。
この、相手の立場になるという考え方が、ちょっと間違えるとかえって異性愛者と同性愛者の間に「理解できない」という溝を生んでしまうことがあるのです。

異性愛者が同性愛についての理解を深めようとした時に、自分が相手の立場になって同性とお付き合いするということを想像します。
そしてその中で行われるであろう性的な行為などを連想し、「気持ち悪い」「ありえない」という強い生理的な嫌悪感を持ってしまうのです。
異性愛者にとって、「同性を好きになる」ということがわからなくても仕方ありません。何故なら、同性を好きにならないのが異性愛者だからです。
しかし、その当たり前のことを見落としてしまうことが大変よく起こるのです。

異性愛者の人が同性愛を理解しようとする時は、自分が相手の立場になることよりも、相手を自分の立場に置き換えてみた方がしっくりくるかもしれません。
同性愛者も自分と同じように愛する人がいて、心から大切に思っていて、触れ合ったり喜びを分かち合いたいと感じている。幸せになりたいと願っている。祝福されたいと願っている。
そう考えれば、人を愛するという気持ちに、異性愛も同性愛も何ら変わることはありません。

これは何も難しいことではありません。あなたの大切な人を思う時の気持ちを、ちょっと思い出してみてください。
きっとそこに、私達が共に生きていくためのヒントがあると思うのです。

見つかっちゃった〜